« アメリカ、レンタルビデオ市場が終わる | トップページ | 会社は国家のもの JALの政治 »

2013年11月11日 (月曜日)

擬似的日常を演出する装置としてのテレビ

99の岡村隆史がお前らバラエティ終わらせたいんかと怒っていた。言いたいことはわかる。しかし言いたいことと現実の存在は別である。問題の本質はテレビの中(番組)ではなくテレビの機能である。その機能とは日常的演出をする機能である。

「ナチ宣伝」という神話

逆に言えば,映画館の中の非日常世界と現実の生活世界にはっきりとした境目があった時代なのである。「ヤラセ」が問題になる現在は,エレクトロニクス技術とコンピュータ制御によって神話的世界と現実世界の区別がより一層曖昧になった「仮想現実(ヴァーチャルリアリティ)」時代に達している。

映画は日常と物理的に切り離された世界なのに対し、テレビは日常と地続きなのである。そこが一番怖いのである。ネットもその延長線上にしっかり乗っている。ニュースも活字になるとリアリティが付与されるが、映像は言葉に勝ってしまうとずっと前から言われている。理論的思考より臨場感が勝つのである。

テレビは洗脳装置。

岡村隆史は自らの存在を確立された装置によって自らの存在の危機に立たされている。オタキング曰く、祝福と呪いの定理です。特殊能力は祝福だがそれによって災難がやってくるというのがアニメ・マンガで良くある脚本です。例としてニュータイプのアムロ(ガンダム1)を上げていた。

【エンタがビタミン♪】「バラエティ終わらせたいんか?」ナイナイ岡村が過熱するネット報道に物申す。

|

« アメリカ、レンタルビデオ市場が終わる | トップページ | 会社は国家のもの JALの政治 »

映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/850/53885926

この記事へのトラックバック一覧です: 擬似的日常を演出する装置としてのテレビ:

« アメリカ、レンタルビデオ市場が終わる | トップページ | 会社は国家のもの JALの政治 »