多少、嘘が含まれるかもしれません。
夏目漱石について書かれているので、自称夏目漱石研究家としてちょっとつっこみを。
夏目漱石は「自分がない」空虚な状態からどう脱したのか?――「自己本位」の発見
日本人は「私」があるということを確信できていない
夏目漱石がイギリスに行って狂ったのは有名だが、彼が困惑したのは予想するに自我だと思われる。理由は近代である。近代とは自己を中心に回る世界である。個が個として成立していなければならない。民法(近代法)の最初を読んでみるとそのことが分かる。
第三条 私権の享有は、出生に始まる。
法制史上、法の近代化はフランス革命のあたりである。ナポレオン法典が現代の法律の始祖である(古くはローマ法が起源)。ここで個人という存在を前提に物事を回す社会が組み上がった。あなたと取引をする場合、あなたの存在を法的に認めなければならない。認められれば、もし何かあったときに裁判で解決できる。そうしなければ犬と取引をするのと同じである。だから商売上、個人の存在が肯定された。私の物は私の物、あなたの物はあなたの物ということが意識されて初めて安全に取引が行える。
前段階としてキリスト教が関係してくる。
キリスト教は個人の存在を認めないと成立しない。キリスト教は個人救済の宗教である。その前のユダヤ教は集団救済である。集団とはすなわちユダヤ人(イスラエルの民)であり、彼らを救済するのがユダヤ教の目的である。キリスト教は私が存在することを私自身が認めていないとならない。そして、夏目漱石が目の当たりにしたのが、近代文明というヨーロッパ・キリスト文化である。「私」が無かった時代の人である漱石が、知識人として「私」を理解出来る知的水準であり、しかし「私」を感じることが出来なかった。故に狂ったのだと思う。「私」があることを理解して、自分には無いと理解できた。
日本は近代化したか? 私はしていないと思う。個として存在できていない。それは個=「私」を肯定する素地が無いからである。キリスト教徒は1%しかいない。自分探しというのは無いものを探すことである。「私」はあるという強烈な意識がない日本で自分など存在し得ない。これからもあり得ないと思う。『我思う故に我あり』とはいえない。我そのものが存在を肯定できないから(漱石のように理解はできるが、深いところで確信できない)。だから資本主義も日本的なものになる。資本主義は「私」が前提に行われる。
イスラム教が私の存在を前提に立っているかはわからない。でも近代化はしていない。近代化が出来たのはヨーロッパ諸国=キリスト教文化圏だけ。
(参考文献?)
日本人の法意識。特に個人に属する所有権の話が面白い。
キリスト教の概略。これがあれば三大宗教が理解できる。弟子の宗教社会学もいいが、やっぱりこれが一番である。
夏目漱石で名著はこころ。漫画でどうぞ。本当は文章が良い。特に遺書のあたりが。
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